満洲国建国と真珠湾攻撃(1)

ルーズベルト大統領は「米国の若者を戦場に送らない」
と公約して大統領に四選した。米国民と米共和党は戦争したくなかった。
しかしルーズベルトは言葉とは裏腹に、戦争したくてしょうがなかった…裏切られた自由

DeepStateと手先の米民主党は人殺しと戦争が大好きだからね。

こういう厭戦気分の米国民の態度を変えたのは真珠湾攻撃だ。
真珠湾攻撃を境に第二次大戦は大きく性質を変えられた。
すなわち米国が第二次大戦に参戦せざるを得なくなった…裏切られた自由

「二正面作戦はやっちゃ駄目だ」と言うのは素人の俺でも知ってる。
永野修身と五十六の)真珠湾攻撃は、この軍事的合理性からするとあり得ない。

北の満洲地域で蒋介石スターリンと揉めてるのに
当時の日本の指導者層は南進を決めた。そして東の真珠湾攻撃も。

百歩譲って南進作戦が有りだとしても、真珠湾攻撃はないだろ。
東南アジアは日本の南だが、真珠湾は南じゃない、どう見ても東だよ。

東は南と字が似てるから、東を南と間違っての真珠湾攻撃ですかね。
邪馬台国近畿説以上にトンデモな真珠湾攻撃だ。
近衛文麿公と側近共産主義者永野修身と五十六は地図も読めなかったのかい。

北と南と東にと、手広くお店を広げた大日本帝国
「勇ましい国だったんだな」と思っていた時代が懐かしい。
でも今では違う感想を持っている。二正面でも駄目なのに北南東の三正面だ。
そのダメな三正面作戦を、いったい何のためにやったんだろうか。

その答えはただ一つ、近衛文麿公と側近共産主義者永野修身と五十六は
大日本帝国を敗北させたかった。

この答えを明快に解説した林千勝はほんとに凄い人だ。
彼の著書を読んで私と同様にそう思った人は多いはずだ。

近衛文麿公を三回も首相に指名した昭和天皇もビックリ。
彼によると近衛文麿公はなんでも筆頭摂家で、天皇に何かあった時には
天皇に代わって執政となる重要なお立場だったという。