朝鮮戦争ー5

朝鮮戦争の謎
>1950年1月12日、アチソン国務長官
>「中国大陸から台湾への侵攻があっても、台湾防衛のためにアメリカが
> 介入することはない。アメリカのアジア地域の防衛線には南朝鮮を含めない」
>と演説しました(於ナショナルプレスクラブ)

>これは、朝鮮半島について極めて重要なメッセージでした。
>要するに、韓国はアメリカの防衛線の外にあるということであり、
北朝鮮に韓国侵攻のゴーサインを出したも同然なのです。

>案の定、この演説から約5か月後の6月25日、金日成北朝鮮軍は
>38度線を突破して韓国侵略を開始しました。…国難の正体・馬淵睦夫p45

マッカーサー朝鮮戦争において敵に勝つ戦略を進言し続けます。
>中でもマッカーサーを落胆させたのは、鴨緑江の橋梁
>(中共軍の北朝鮮への侵攻ルート)爆撃要請をアメリカ政府が
>拒否したことでした。

アメリカ政府の回答は驚くべきものでした。
>マーシャル国防長官からの返事は「満洲国境から8キロの範囲にある
>目標の爆撃はすべて延期する」という命令でした。…国難の正体p49

朝鮮戦争で勝利しようとした努力したマッカーサーは、それゆえに解任されます。
>………要するに一言で言えば、マッカーサーがかつての無能な部下であった
>マーシャル国防長官(1950年9月就任)の意向に逆らったためです。
>しかしマーシャル長官は朝鮮戦争アメリカが敗北するように
>戦争指導していたのです。…国難の正体p50

なんか近衛文麿公と側近共産主義者永野修身に五十六みたいなお人ですね。