ユダヤ人の歴史(12)

>お金には、大きく分けて
>「(1)価値の尺度 (2)交換(決済)手段 (3)価値貯蔵手段」
>の3つがあります。

価値の尺度、交換(決済)手段はお金の必要十分条件だ。
ただ価値貯蔵手段は、富の蓄積が進み貧富の差が拡大し、善し悪しだ。
お金の価値がある程度は続いてほしい。

お金=貨幣は便利だが貯めこまれる欠陥がある。
まあ人間のやることで仕方ないけどね。

通貨=貨幣=金匠手形は、昔は金本位制で金と交換できる「事になっていた」
人間は工夫するから、時代が進むにつれて、財とサービスの生産が
大量に早く安く高品質になっていく。科学技術が確実に進歩する。

増える財とサービスを国民全部に行き渡らせるには、貨幣が必要だ。
貨幣を増やさないと、国民に行き渡らないか、財とサービスが値下がりする。
つまりデフレになり企業や個人の生産意欲、やる気。mindも下がっていく。
これはまずい事態なんだね。

貨幣総量が金総量に制限されている金本位制では
増えていく財とサービスには=経済の発達には、貨幣が足りない。
だから貨幣総量は金総量と切り離す必要がある、必要があった。

こういう現象に金匠が、多くのユダヤ人が、気づいていたと思う。
それで金の裏付けのない金匠手形、つまり贋金を大量に発行した。
カネを貸してくれという人間が多かったんだろう。
これが必要だったんだ。贋金でも信用されれば贋金じゃないしね。

紙切れ一枚に金額を記入して貸し出すと手数料と金利が入る。
金匠にとって美味しい商売だ。最初から最後まで動機はたぶんこれだ。
そして偶然にもこれが経済発展に必要だった。

そういう贋金を借りに来るのは、新しいやり方で財とサービスを
生産しようという企業と個人だ。頭の良い人でやる気があって
前向きで積極的で上昇志向の人達だ。

そういう企業や個人からは質草をとり、王様からは課税権を担保に貸出した。
胸の肉一ポンドの話はこういう状況でのことだろうね。
現代の日本だと「腎臓売れ」という人で、あまり好かれそうにないね。

金匠手形は17世紀から、日本では江戸時代に該当する時期だ。
「英国→フランス→エスパニア→オランダ」
ユダヤ人が追放されて行く先の国が発展したと
主張して止まないのは高原剛一郎だ。

もし彼の話が本当ならば、金匠は17世紀以前でも金の裏付けのないカネ、
つまり贋金を出していたのではないか?そう考えないと辻褄が合わない。

金貨の金含有量を少なくしても良いんだな。金匠だから簡単だ。
たまには贋金だとバレる時もあったのではないか。
やがて金匠手形=貨幣が一般的になり、さらに中央銀行制度を思いついた。

なぜ金本位制度かと言うと、貨幣=金匠手形の信用のためだ。
だから人間が何かを信用できるならば、信用できるその何かと貨幣がリンクしてれば良い。
現在ではその何かは国家だ。この国家は近代国家=国民国家とは限らない。
でも国民国家でないとダメっぽい気がするけどね。